テロップ映像の得も知れぬ不気味さを言葉にしてみる

 

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VHSが主流の映像媒体だった頃の話。最後の「やれ終わった終わった」という頃合いに不意打ちに流される「品質管理用の音声信号」という映像が苦手だった。黒背景に白文字、古めかしい丸ゴシック、何よりも奇妙な音。「(異常ではありません)」と但し書きされているが、何が正常なのかが腑に落ちないし、品質管理用に作られた音声を敢えて視聴者に「お知らせ」している訳の分からなさ。スプラッター映画の作られた怖さとは違う、妙にリアルな不気味さがある。以前に『月曜から夜ふかし』で紹介されていた和歌山県ローカルの自動車販売店のCMもこれに似ている。こちらは無音だが、やはり黒背景に白文字だ。新潟県中越地震の際の『ブラックジャック』でも「不適切な表現があるので第○話を繰り返し放送します」といった黒背景に白文字の無声テロップが流されていたのを覚えている。

なぜこんなことを思い出したのか。11月22日に福島県津波警報が出された際に、NHKの「すぐ にげて!」「つなみ!にげて!」というテロップが不気味だとネットで話題になっていたからだ。先の大震災を機にNHKは分かりやすい表現に改める取り組みをしており、通常ならば「津波」「逃げて」と表記される部分がひらがな表記になっている。この不自然な文体には「品質管理用の音声信号であります」に通じる違和感がある。なぜ軍人口調なのか。「お詫びテロップ」や「しばらくお待ちください」なども同じ意味で不気味に感じられることの多い映像らしい。もっと意図的に作られた怖い映像などは沢山あるはずだが、この類の映像のポイントは、テロップが不意に不気味な印象を与えてしまうことにある。

この類の映像がどうも不気味に感じられるのはなぜか。テレビ番組には日常的な文脈がある。バラエティ、ドラマ、インタビュー、ニュースなど各々で秩序立てられている。こうした適切な文脈に位置付けられ、映像、ナレーション、テロップ、BGM、SEが相互連関することで画面が構成される。その都度の文脈に沿ってテロップの色・フォントやBGMが選ばれる。その点で、多様な解釈の余地がある活字メディアに比べると、映像メディアは特定の文脈に規定されたリアリティを持つ。視聴者はこの情報過多な秩序を「自然」なものと考えて予期を形成するし、番組制作者側もそうした予期に応じて予期を形成する。この予期が食い違うと、適切な文脈に位置付けることのできないカオスな状態になる。ニコニコ動画のBGM差し替えMADの様に笑いのネタにもなるが、やはりリアルタイム視聴の場合にはその脈絡のなさから異常さが際立つ。

特に白黒、白抜き文字、無音声、静止画、無機質なテロップといった要素が揃うと、情報量が過剰に希薄になり不安が増すように思われる。情報量の希薄さという点では文字が少ないというのも重要そう。放送事故が起きて「品質管理用の音声信号」の感じで「しばらくお待ちください」の一文だけ唐突に流されたらトラウマどころの騒ぎじゃない。あと、スマスマが解散発表後のテロップ画像が無音で怖いトラウマになりそう!のような事例で、白背景・黒文字が怖いとの声もあるが、僕の場合はそれほど不気味だと感じない。やはり白抜き文字だ。視認性に優れている一方、文脈に対して文字の印象が強すぎる。より個人的な感覚で言えば、明朝体やゴシック体ならまだ良いのだが、昭和っぽい太い丸ゴシックが苦手だ。帰りの夜道に煌々と光る大きな「止まれ」の標識とか。テレビが当たり前にある時代を生きる現代人ゆえの感覚なのかもしれない。